アニメの「○話で切った」報告は何故にこんなに不快なのか
終物語の記事を執筆しようと思っていたんですけど、ちょっと思うことがありまして表題のテーマで記事を書きます。
ハッキリ言って、私は「○話で切った」報告はとても不快に感じています。それは何故なのか?考えてみたいと思います。
第○話切りの詳細についてはこちらを確認ください。
dic.nicovideo.jp
切った報告は何故不快なのか?
アニメが好きな人でも1クールに大小合わせて50本近く放送されているアニメを全部網羅している人はごくわずかではないでしょうか。全部見るための物理的な条件として首都圏に住んでいて有料放送まで契約する必要性がありますからね。この辺の愚痴はまた別の機会で。
要は、アニメを見るにしてもほとんどのアニメ好きが何らかの取捨選択を行っているわけです。私も20本強のアニメを第1話見ましたが、現時点で残っているのは17本です。ひょっとしたらここからまたさらに少なくなるかもしれません。つまり、日常的に「アニメを切る」という行為は行われているのです。だから、何も思わず書いてしまうということがあっても不思議ではありません。
では、なぜ不快なのか?
私は、気に入っている作品の感想をブログで記事という形にして書いています。その時に、他の人はこの作品に対してどのように思っているか必ずリサーチすることにしています。フローにしてみると
首都圏での放映(私は見れない)
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感想のアップ始まる
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BS及び地方地上波での放送、もしくはニコニコの配信を鑑賞
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他人の感想記事の巡回(だいたい有名ブロガーさんの記事は出揃っている)
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自分の感想記事の執筆・公開
他人の感想記事の巡回にはブログだけではなく、時には2ch本体やまとめサイトも巡回している訳で、当然のように切った報告に出会うわけです。例え記事を書いていなかったとしても、私が視聴しているアニメ関連の記事も気になったら見に行くがそこでも切った報告が。
極めつけは、そのクールのアニメ全部を網羅するような「○アニメで面白い作品を3つあげて」なんていう2chやまとめサイトがあったら、ひねくれた奴が必ずいて聞かれてもいないのに「○○は○話で切った」とか「○はゼロ話切りだわ」とか書き込んでる。
不快の原因の一つに、切った報告は拒絶であるということです。「もう、この作品は見ないぞ」って宣言。
いや別に宣言することが問題ではないんです。個人間の会話やツイッター上でやってくれるんなら別にお好きにしたらいい。
「あのアニメどうだった?」
「いや、あの作品はつまらんわ。2話で切った。」
これなら別に不快に感じることもないし、だいたい個人間の会話なんて私には聞きようがないですからね。
しかし、これを好きな作品の感想を言い合う場で出されると、気持ちが萎えるというか、ムカついてくる。
誤解がないように言っておくと、決してネガティブな感想を述べることに反対しているわけではないんです。書き込んだ当人が拒絶したはずの作品の感想を言い合う場で、わざわざ拒絶したことを報告する必要はない。ということです。
百歩譲って、切った報告もきちんとした理由が添えられていればなるほどな。と思うこともできますが、理由もなしにただつまらないから切ったってだけを報告されても何の参考にもならないし不快感しか残らない。
これが不快感の正体なんじゃないかと思いました。
最後に
ここまでは、切った報告は何故不快なのかについて考えてきました。私なりに結論を出したわけですが、声高にやめるべきだと騒ぐつもりはありません。考え方はひとそれぞれですからね。少なくとも私は不快感を感じている。ということを分かってもらいたかったから、自分のメディアであるこのブログで考え方を披露させてもらいました。
あわよくば、何の考えもなしに惰性で周りもやっているからっていう理由で切った報告をしている方がおられたら一度立ち止まって考えてほしい。という気持ちはありますが。
ちなみに、私自身はどうしているかというと、切った作品については極力コメントをしないようしています。批判するときは最後まで見てから批判したいと思っているので、そういったケースはむしろ逆に意地でも最後まで見てしまいますからね。
逆に、ポジティブは理由(後で一気見したい等)で視聴継続を断念したケースなら割とハッキリ公言するようにしています。