アニメヲススメ

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すべてがFになる 第10話 紫苑色の真実~四季の動機が解からないけど新藤所長の気持ちはわかる

アニメレビュー第8弾は『すべてがFになる』の続報記事。第10章 紫苑色の真実 です。
※この先、ネタバレしていますのでご注意ください。

前回までの記事はこちら
ka-rinchaco01.hatenablog.jp

今回は大体の謎が解けましたね。私的には、想定の範疇というかもっと突っ込んだ動機の解明までしてほしかったのが正直なところ。
その辺はおいおい語っていきましょう。

あらすじ

明かされる事件の真相ーー、四季を殺害したのは部屋にいたもう一人の“四季”だった。ヴァーチャル空間での犯人との対面に臨む犀川と萌絵。二人は事件のトリックを解き明かしながら、その過程で真賀田四季という人間がいかに生きたのかを知る。

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気になるトピックス

第10話全体の雑感

今回は、全体の大枠について少し語ってから個別に見ていきましょう。

前回で密室トリックについて明かされたわけですが、やっぱり私にはこの部分が推理しきれなかった。今日明かされた部分の大半が想定の範囲内だっただけに結構悔しいです。

実際、公式も

カタルシスの回って宣伝しているのに、なんか複雑で微妙な気持ちになってしまった。
だいたいの予想はあっていた。なのに手放しで喜べないのは、やはり、四季博士の動機の解明が不十分だったからでしょう。やっぱりスッキリしません。

創平・萌絵VS四季博士

ついに、創平にとっては四季博士と会話するチャンスが巡ってきました。と言っても、実際にはこれまでにも言葉を交わしたことがあったんですよね。

創平と萌絵の脳内イメージの場所が全く違ったのには、この件に対する取り組みの違いが如実に表れていましたね。
やっぱり萌絵は、四季博士を問い詰めたいという一心での取調室。大抵の人は萌絵と同じような脳内イメージになるのかもしれません。
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しかし、創平は海の見えるリゾート。劇中にも途中で印象的に「海が見たいわ」という台詞を使っていましたが、ここに絡めて来るとは。創平は四季博士を敬意をもっておもてなししているようにも見えましたね。
そこには、単に憧れという感情だけじゃなく、博士に対する敬意は勿論、同じ研究者としての帰属意識何かも垣間見えるような気がします。
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でも、この脳内イメージというのはよく考えられたものです。場面が会話に合わせてどんどん変化していく。この変化していく演出ってアニメーションでは事象の解説によく使われる手法ですが、この作品はその演出に設定としての裏付けがある。原作を読んでないのでわからないですが、原作ではどんな表現をされていたのでしょうね。この点についてはアニメ向きの設定だったのかもしれません。

新藤所長と犀川准教授

新藤所長については、常に自殺説や心中説を唱えていましたが、映像を見る限り同意殺人ということでしょう。
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でも、新藤所長の気持ちについてはなんとなく想像できるんですよね。
これまでの回想シーンを見ていても、もともとは普通の常識人だったと思うんです。それが真賀田夫妻から四季を預かるようになり、その四季のたぐい稀なる才能に触れるうちに魅了され、結局は取り込まれていった。

「坂道を転がるように落ちていった」
という表現を過去回でしていましたが、常識的な側面から見ればそうでしょう。しかし、新藤所長にとってはそれは四季とのかけがえのない絆であり、愛とかそういうものも超越した関係に見えます。

多分、真賀田夫妻を殺した時から二人は認識を融合させていたのかもしれませんね、相手が行うことを手に取るようにわかる。だから新藤所長は喜んで四季に殺されたし、悔いはなかった。

新藤所長の一連の件については私はこのように理解することにしました。しかし、この新藤所長にものすごく近い思考の持ち主がいる。
それが、犀川創平。その人である。

創平の四季への陶酔というか憧憬は決して他のものに向けられるものとは違い独特のモノであると思う。だから、創平が新藤所長と同じ立場になったら、同じような行動をとる可能性はかなり高いと思う。

しかし、創平には浮世離れしたお嬢様であるが別な側面として現実的な思考の持ち主である萌絵がいる。彼にとってみれば萌絵がいるからこそ思考を整理したりすることが出来る。
これは、萌絵と四季にも同じことが言える。萌絵は聡明だが天才ではない。萌絵が天才で、創平という存在が居なければ四季博士と同じようにならなかったとは、こちらも言えないでしょう。

この辺の考察は、きっと最終話が終わった後のほうが良かったかもしれませんね。作品全体を見通して総括するのはまた別の機会にしましょう。

最後に

新藤所長の気持ちが想像できても、四季博士についてはやっぱり動機が理解できない。ここら辺が凡人の限界かもしれませんね。

とにかく来週は最終話。楽しみに待ちたいと思います。